上光証券と聞いて多分東京に本社がある証券会社だろう、ぐらいにしか認識がなかったけれど、この証券会社は札幌に本社があるれっきとした地元の証券会社である。戦前のピーク時には、札幌や道内各地に100社もの証券会社があった。しかし、その証券会社も減り続け、2002年に函館証券が廃業して、上光証券のみが道内唯一の証券会社として残った。
北洋銀行の小樽中央支店長も勤めた松浦氏は、ある事で筆者の事を知っていたらしい。以前、北洋銀行副頭取であった横内龍三氏のはからいで「小樽・石狩秘境写真展」を同支店ロビーで行ったことがある。その時の話らしいが、同支店長の経験のある松浦氏は、展覧会時には上光証券に移られているはずで、筆者には展覧会での松浦氏の記憶はない。しかし、その話がきっかけでもあり、松浦氏を北1条通に面したビル内にある同社の社長室に訪ねる。
社長室でまずパノラマ写真を撮る。立った松浦氏の背後の壁には「Hokkaido Super Claster」の2014年度のカレンダーが貼ってあり、地元のIT業界との付き合いがあるのが伺える。
会社の「上光」は「浄光」名を持つ浄土真宗のお寺さんが「浄」を「上」に変えて小樽で商店経営を始めた。その「上光商店」が証券取引を行ったのが現在の同社のルーツになるそうである。松浦氏は2006年に北洋銀行から上光証券に移っている。
松浦氏は1951年札幌生まれで、小樽の潮陵高校で地学を志しながら方向転換で、早稲田の商学部を卒業した。三菱銀行も受かったのだが、地元の銀行ということで北海道拓殖銀行(拓銀)に入行している。拓銀時代の話を聞くと、昨年(2013年)TBSの人気ドラマ「半沢直樹」に重なる部分がある。半沢直樹は不良債権回収のため企業の立て直しに奔走する。松浦氏も不良債権の回収という、いわば銀行の後向きの業務に携わることが多かったようで、その筋の客との対応に身の危険を感じたこともあったそうである。
旧拓銀の半沢直樹のようだと言ったら、ご本人は否定しなかったので、ドラマにあった事と似通った事を体験されて来たのであろう。しかし、不良債権の回収も、旧拓銀の貸出しが5兆円規模のところに1兆1千億にも上る額では万事休すである。旧拓銀は1998年北洋銀行に営業権譲渡で消滅した。それに伴い松浦氏も北洋銀行に移り同行大通支店長などを勤め、常務になり、第三の勤め先の上光証券に副社長で迎えられた。
社員数が70名程度の地方の証券会社を、地方都市で経営して行けるのはどうしてか聞いてみる。手数料は東京に本社のある大手証券会社の方が安く、ネット証券ではさらに安くなる。ネット取引は手軽なこともある。しかし、顧客の信頼を勝ち得えることで、顧客の満足度は大手の証券会社以上のものがある。そこに地方の証券会社が生き延びる道が見えてくるとのことである。
会社の自分の席を温める暇もなく、仕事で社内外に足を運ぶ毎日のようである。趣味に類した話はあまり無く、ウォーキングで北海道神宮境内にある旧拓銀の物故者を祭った穂多木神社まで参拝に行くとのことである。以前、札幌の秘境を取材していて、旧拓銀の大金庫の写真を撮ったことや、穂(北海道の北の音に漢字を当てはめている)や多木(拓銀の音から取っている)の謂れを思い出した。
(社長室での松浦良一氏 2014・3・5)
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