光合金製作所会長の井上一郎氏は1934年生まれで、この2月には80歳になられる。小樽港町の波止場に隣接する同社本社を取材で訪れた時も相変わらずお元気であった。昨年(2013年)11月、筆者の北海道功労賞受賞祝賀会に井上氏に乾杯の発声をお願いしていて、井上氏も2009年に同賞を受賞しておられる。
同社は不凍給水栓を製造販売しており、観光地小樽運河からも近い本社は管理・営業部門だけで、工場は小樽市朝里にある。以前「小樽・石狩秘境100選」(共同文化社、2007)を出版した時、朝里工場の取材でお世話になったこともある。
井上氏は室蘭工業大学を卒業後、小樽商大に籍を置き、その後北大衛生工学科の助手を5年間勤めて現在の会社に入社した。衛生工学科時代には水処理が研究テーマだったので、北大での研究が現在の不凍給水栓の製造に生かされている。
同社は一郎氏の父親の良次氏が1947(昭和22)年に創業しており、一郎氏が2代目社長、一郎氏の息子の晃氏が3代目社長である。社名にある「光」は戦後の混乱期に「光明あれ」と創業したことによっている。
木造2階建ての本社の応接室は表彰状で囲まれている。副賞の置物も所狭しとテーブルの上に並べられている。一番新しいものは昨年の「北海道新聞文化賞」で、これは井上氏が中心になって活動してきた「伊藤整文学賞の会」に与えられたものである。同賞で贈呈された安田侃氏の作品のブロンズの置物もテーブルの上にあった。
井上氏とは随分長いお付き合いで、1985年北海道拓殖銀行が主催した「米国先端産業集積地調査団」の31名の団員に、井上氏も筆者も加わっている。1986年には札幌のIT産業の拠点として、サッポロテクノパーク内に札幌市エレクトロニクスセンターが開設されていて、後にサッポロバレーと呼称される札幌情報産業の黎明期に当たっている。
筆者は2005年に北大を定年退職し、その後3年間札幌市エレクトロセンターのオフィスで仕事をした。その時ITと関係のない都市秘境探索を開始している。前記のように都市秘境を探して小樽まで取材に行った時、井上氏は小樽観光大使を務められていたかどうか定かではないが、現在は同大使を務めておられる。今回、井上氏から、氏が巻頭言を書かれた「小樽草子」の小冊子を手渡された。この小冊子から、井上氏が本業の傍ら、観光による小樽地域振興にも力を尽くされているのを読み取ることができた。
(父・良次氏の肖像画の横に立つ井上一郎氏)
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