後に「サッポロバレー」と称されるようになる札幌情報産業の黎明期に、キーパーソンの一人に三浦幸一氏がおられた。「ソード札幌」の役員として同社を立ち上げ、後に「テクノバ」社の社長になっている。惜しむらくは、2000年に57歳の若さで亡くなっている。三浦氏の死が契機で、2000年に「三浦・青木賞」が設けられた。札幌や道内のIT業界の新人を発掘して表彰しようとする目的の賞であった。
社会人と学生の部門の大賞入賞者には、賞金50万円の他に副賞としてブロンズ像を贈呈することになった。そのブロンズ像の制作を彫刻家の國松明日香氏に依頼した。出来上がった像は抽象的なもので、なんとなくモアイ像に似ていることから、関係者間では「デジタル・モアイ像」と呼んでいた。賞は5年間で終了する予定のプロジェクトで、像のプレートには第1回から5回までの授賞式の日付が彫り込まれるスペースが空けてある。4回目まで授賞式が行われたが、5回目は授賞式の記録がなく記憶も定かでない。確かめたことはないけれど、國松氏はこの小物の作品については、制作したことを忘れているかもしれない。
國松氏とは「伊藤組100年基金」の評議員や「北海道アートマップ」編集制作検討委員会などでご一緒させていただいている。札幌市立高専の教授時代には同校の先生の研究室を訪問したことなどもある。「カスケード」社の服部裕之社長がイサム・ノグチの作品の蹲(つくばい)を札幌市に寄贈した。2013年11月に行われた贈呈式で、ガラスのピラミッドの会場で國松氏を見つけてパノラマ写真撮影となる。
國松氏は1947年小樽生まれで、父親は國松登画伯である。長男希根太氏も彫刻家なので、芸術家の家系である。明日香氏の作品は南6条西5丁目の交差点のところにある「出逢い」のような具象作品は初期のもので、鉄製の抽象作品を制作し、札幌市内や道内に多くの作品が設置されている。作品を見るとすぐに國松氏のものであるとわかるものが多い。鉄を素材にすると重くて加工が大変だ、と何かの折に聞いた記憶がある。
(パノラマ写真はガラスのピラミッドでの國松明日香氏)
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