合成音声でユーザの好みに合わせて歌わせことのできるボーカロイド技術から生まれたヴァーチャル歌手「初音ミク」がブレークしてから、初音ミクを生み出したクリプトン・フューチャー・メディア社の伊藤博之氏は多忙の身となっている。
伊藤氏の会社は効果音などを輸入して売ることも仕事にしていた。札幌市長が委嘱する「eシルクロード親善大使」制度を2005年に提案した時、10名ばかりの親善大使の一人として伊藤氏にも加わってもらった。その事もあり、2006年4月には伊藤氏と共に韓国・大田広域市にあるエマシス社(金豊民社長)やETRIでの講演や視察旅行を行っている。この時は、エマシス社が開発したケータイ用の3次元音源を、日本のケータイ・キャリア会社に売り込むため、伊藤氏の会社でその音源データを作るような話が進行していた。その時は「初音ミク」は未だ生まれてはいなかった。
筆者はIT技術者向けの日本語会話のテキストを中国語、韓国語の対訳つきで作るプロジェクトも立ち上げ、日本語の読みはプロの司会者に発音してもらった。その録音と編集を伊藤氏の以前の会社のスタジオを使わせてもらい、テキストを出版したこともある。
こんな関係で伊藤氏にはお世話になっていて、勉強会「eシルクロード大学」で講師として何回か話してもらっている。そうこうして効果音、楽音や音声を商品化する過程で「初音ミク」が生まれる。これはCGM(Computer Generated Media)のコンセプトに基づいていて、メディアの受け手がメディアの作り手にもなれる技術であったこともあり、急速に世の中に受け入れられていく。札幌が発信元で全国に通用する、そして今はアジアで人気のヴァーチャル・アイドル歌手に成長してきている。アメリカやヨーロッパにも名前が知られるようになっている。
北海道新聞文化賞に「初音ミク」を推薦して、初めてヴァーチャルな人物が実在の人物と伍して2012年の文化賞の特別賞を受賞している。その授賞式も伊藤氏は前からの約束の講演会か何かで出席できぬほどスケジュールが込んでいた。受賞式には等身大の「初音ミク」のパネルが置かれていた。
最近、札幌駅近くの日本生命ビルの11階の1等地に会社を移転している。伊藤氏の時間の取れるところで短時間パノラマ写真撮影に出向く。社長室といってよいかどうか、狭い自分の部屋でパソコンを相手に仕事をしている。会社の机だけでは殺風景なので、前述の北海道新聞文化賞の佐藤忠良制作のブロンズ像を机の上に置いて撮影である。
技術やサービスの革新よる企業の変化は目を見張るものがある。しかし、人の方はそんなに変われるはずもなく、相変わらずの伊藤氏がそこに立っていた。
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