徐軍君は1966年7月に中国赤城県で生まれている。赤城県第一高校から瀋陽工業大学計算機学院に入学している。この計算機学院の創立に力を貸した経緯があり、同大学から北大の博士課程に5,6名の留学生や研究生を招いて、筆者の研究室で面倒をみたことがある。
徐君は1990年に来日し、研究生となり、1991年の4月から博士糧に進学した。博士課程での研究テーマは「“化身話”コミュニケーション」に関するものである。ここで“化身話”というのはコンピュータ空間でのアバター(化身)が会話する言語(Avatar Language)といった意味で、筆者の造語である。このテーマで研究室の博士課程の留学生の何人かが博士号を取得しており、徐君もその内の一人である。
外国人留学生を受け入れると生活費等の手当てに頭を使うことになる。徐君の場合、博士課程1年目で国際電気通信(KDD)の外郭団体である国際コミュニケーション基金の研究助成金支給者に選ばれて助かったことがある。この助成金の余禄で、徐君と一緒に九州旅行をした記憶があるのだが、場所ははっきり覚えていない。
徐君は博士課程入学の3年後の1994年に博士号を取得している。学位論文題目は「知的通信方式による手話画像伝送の研究」である。この時研究室に同期生として居た中国人留学生の張善俊君の指導も行っていて、徐君と同時に博士号を取得している。張君の博士論文題目は「A Study on Two/Three Dimensional Medical Image Processing」であった。
徐君は博士号取得後NTTグループ企業に就職し、東京で勤務し、その後外資系のアクセンチュアに入社し、大連で2年間ほど仕事をする。同社の上海にある会社に移り現在に至っている。大連に勤めている頃大連で会ったおぼろげな記憶があるだけで、その後徐君との音信は途絶えていた。
その状況で急にメールが届く。やはり研究室で博士号を取得してニコンに勤めている劉真さんから筆者のメールアドレスを聞いてメールを出したということで、2日後に札幌に行くので会いたい旨のメッセージがある。家族と一緒に「さっぽろ雪まつり」見物を兼ねているようである。
待ち合わせ場所は札幌グランドホテルのロビーを指定する。お互いかなり変わっていて、当方も徐君を見てすぐには気がつかず、徐君も同様である。しかし、改めて見ると確かに徐君である。グランドホテルのロビーで開かれていたデザインの個展の会場を借りて、徐君一家のパノラマ写真を撮る。
その後日本料理屋で夕食となる。徐君の奥さん崔蓉暉さんは日本で生活していた関係で、日本語会話には不自由しないようである。上海では絵を通して子ども達の能力を引き出す塾を持っていて、手持ちのPCで仕事の内容のデモを行ってくれた。
大きくなった息子が二人居て、長男思博君は東北大学の燕山分校で自動制御を専攻し、次男思楊君は中学生で高校受験を控えている。日本生まれで、日本で過ごした経験のある思博君は日本語会話には困らないようである。
かつての研究室の留学生の事や色々の日中の話題が出て話は尽きないところではあったけれど、未だ雪まつりを見ていないとのことで、夕食会は切り上げて大通公園の雪まつり会場まで行く。ここでも一家のパノラマ写真を撮ってみたけれど、ライトアップされた大雪像を背にしての写真では、顔が暗くなってよく写らなかった。
(札幌グランドホテルロビーのギャラリーでの徐軍君一家)
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