HPFhito38・ソチオリンピックの聖火トーチを持つ高橋はるみ北海道知事

 昨年(2013年)の11月下旬に、筆者の「北海道功労賞」受賞祝賀会が全日空ホテルで行われた。その時の司会者が「札幌人図鑑」主宰者の福津京子さんである。福津さんとの立ち話で、「札幌人図鑑」500回目は高橋はるみ知事がゲストだと知った。忙しい知事を、私設動画サイトのインタビューに登場させるとは、福津さんは大した行動力の持ち主である。
 この「パノラマ写真風土記-人物編」は「札幌人図鑑」をヒントにしていることもあって、これは知事のところまで行ってパノラマ写真を撮らねばと思った。功労賞の道主催の祝賀会で知事のパノラマ写真をとってはいるけれど、同一のパノラマ写真に、知事が二人写っている。面白いけれど、やはり写真を撮る目的で撮影したものがほしい。
 ただ、福津さんと同様、組織を背負っていない身分で、大した用事でもないことで知事と接触するのは難しい。功労賞の贈呈式に関連して、道庁内で連絡窓口になったところに依頼してみる。しかし、庁内で知事がパノラマ写真撮影に応じる場所はない、との断りの返事が返ってくる。
 年が明け、北海道IT推進協議会新年交礼会に知事が短時間出席した機会を捉えて、パノラマ写真撮を知事に直接依頼する。いとも簡単にOKということになった。この時、JR北海道相談役坂本真一氏が自殺したらしい、という情報は交礼会に出席していたほとんどの人は知らなかったはずである。筆者も知らなかった。が、知事には伝わっていたはずで、そのせいか予定の時刻をずらしての知事挨拶になった。生きておられたら、面識のある坂本氏にもパノラマ写真の被写体に、と何となく考えていたこともあり、この事件には非常に驚いたし、残念でもある。
 知事ともなると、北海道のキーパーソンの動静から、筆者の訳のわからないような依頼まで、同時進行で処理しまければならない。知っていても何事もなかったかのように振る舞わねばならぬこともあるだろう。知事職とはストレスのかかる、なかなか大変な仕事であるのには違いない。
 高橋知事のパノラマ写真撮影は知事応接室で行われた。まずパノラマ写真がどういうものかの説明のため、スマホでQRコードを読み込んでパノラマ写真を示す。座っての撮影は面白味に欠けるので、寄贈品を手にしてもらっての撮影である。知事が手にしているのはソチオリンピックの聖火トーチで、汚れ具合からみて、多分北海道内のリレーで使われたものだろう。不死鳥「火の鳥」の羽をデザインしたものである。写真のアングルが適当でなかったのでデザインを今一伝えることができない。今回の世界を巡る聖火リレーでは、火を消したトーチだけが国際宇宙ステーションまで運ばれ、地上に戻ってきている。
高橋知事は寄贈された縄文太鼓も叩いてみせてくれる。これもパノラマ写真に収めた。多分、重要案件を処理したり、大切な面会者もあったりで、パノラマ写真撮影に割く時間も限られている。挨拶や説明を加えて、3枚のパノラマ写真を撮って10分間程度で終える。手持ちのカメラで撮るパノラマ写真は、下手をすると出来損ないの写真となる。プロのパノラマ写真家でないからその点は気楽なところがあるのだが、プロならこれはストレスの貯まる仕事だろう。
 最初の話に戻って、「札幌人図鑑」でご自分語っていた高橋知事の健康法は、規則正しい生活で、三食をしっかり食べ、充分な睡眠を取ることだそうで、これは健康の正攻法の着実な実行である。知事職もその延長上で、奇を衒ったことは避け、正攻法でやっておられるのだと感じた。


HPFhito38%E3%83%BB%E8%81%96%E7%81%AB%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%81%E3%82%92%E6%89%8B%E3%81%AB%E3%81%97%E3%81%9F%E9%AB%98%E6%A9%8B%E7%9F%A5%E4%BA%8BA.JPG

(ソチオリンピック聖火トーチを持つ高橋はるみ知事)

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito37・中国企業との連携を進めるサンクレエ社長森正人氏

 今年(2014年)の北海道IT推進協会新年交礼会で、同協会長森正人氏にパノラマ写真撮影のお願いをした。大寒の日に札幌市中央卸売市場の鼻先にある森氏の会社「サンクレエ」を訪ねる。卸売市場を見下ろす眺めの良いビルの5階にある同社の社長机のところで森氏に立ってもらいパノラマ写真撮影となる。
 撮影後森氏と立ち話である。以前に同社を訪問した時にも聞いた記憶はあるのだが、すっかり忘れている「サンクレエ」の社名の意味を聞く。「サン」は会社独立前の所属企業「日藤」の頭文字を英語にしたもので、「クレエ」はフランス語の創造(クリエイト)を意味するそうである。何故ここにフランス語が登場するのかは聞き漏らした。
 親会社「日藤」から1989(平成元)年に独立しているので、会社創立からもう四半世紀近く経っている。ソフトウェア会社で主力は機関業務のパッケージソフトである。札幌のソフトウェア業界は、以前はパッケージソフトを独自開発する企業が多かったのに、現在多くの企業は受託開発にシフトしてきている。その中で、パッケージソフトでビジネスを続けてきているのは、企業の活力を維持していくノウハウの蓄積があるからであろう。
 そのノウハウの一つは中国瀋陽市の企業との連携である。連携というより支援かもしれない。パノラマ写真の隅の方に中国人社員が写っている。同社には3名の中国人社員が勤めており、連携している中国の会社に派遣されていている。現在そのうちの1名が札幌に来て仕事をしている。中国の連携会社は「瀋陽技盟信息技術有限公司」である。現在の日中関係の状態悪化が業務に支障を来しているか、と森氏に聞いてみる。状況は以前とまったく変わらない、との森氏の返事である。新聞の国全体を対象にした報道と、草の根の日中のビジネス交流はかなりのずれがあるようである。
 以前人件費が安いことで中国向けのオフショアが盛んであったのが、今や東京から発注する場合、中国と札幌はほぼ同じ単価であると聞いて、時代は変化していると感じた。オフショア先は中国からベトナム、タイ、ミヤンマーへ移って来ているとのことである。そのベトナムも人件費が高くなって、これから数年で安い人件費のメリットは薄れるだろうとのことである。
 ベトナムの話が出て、以前「さっぽろ産業振興財団」主催のベトナム視察団に森氏も加わっていたことを思い出した。視察団は2008年1月中旬に3泊5日の深夜番組(森社長談)みたいにして行われた。筆者が発行していたeSRA広報誌「eシルクロード」(March 2008)に森氏が「ベトナムオフショアビジネス視察会」の一文を寄稿している。視察先のホーチミン市で森氏が撮った、電柱に幾本重なって架かっているのかわからない数の電線束の写真が添えられてあった。



HPFhito37%E3%83%BB%E6%A3%AE%E6%AD%A3%E4%BA%BA%E7%A4%BE%E9%95%B7A.jpg

(札幌市中央卸売市場を見下ろすオフイスでの森正人社長)

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito36・北海道新聞文化賞に輝く初音ミク

 2012年度の北海道新聞文化賞は画期的なものであった。実在の人物ではなくヴァーチャルなキャラクター(ボーカロイド)が著名人や団体と伍して受賞している。受賞対象の団体や会社は法人とも呼ばれ、こちらも法で認められた架空の人格とはいえ、建物があったりそこで働いている社員が居たりで、実在のものである。これに対して、初音ミクはコンピュータ内やネット空間に存在するアイドルなのである。
 文化賞推薦に当たり、初音ミクを生み出したクリプトン・フューチャー・メディア社の伊藤博之社長を受賞対象と考えて打診した。伊藤社長からは、自分より初音ミクを推薦してほしいとの意向が返ってくる。この申し出にはかなり戸惑った。いくらなんでも実在しない人物に賞とは、推薦規定を見ても受賞対象は個人とか団体とかは書かれていても、「実在」のという断りはない。改めて書くまでもなく、賞の対象は実在するものとは暗黙の了解事項である。
 この推薦は門前払いだろうと思いながら2011年に推薦書を送った。案の定この年は受賞には至らならなかった。受賞にならなかった理由など審査内容は一切外部に漏れてこないので、実在人物でないのが受賞に届かなかったのかどうかを知る術がない。
 前年の経験があるので、2012年に推薦を再提出するかどうか迷ったことも事実である。しかし、推薦書を大幅に書き換える必要もないので、ダメモトで2年目の書類提出である。これが認められ、初音ミクは道新文化賞初のヴァーチャルキャラクターの受賞に輝いた。賞のカテゴリーは特別賞である。
 ホテルで行われた授賞式にはパノラマ写真にある初音ミクの等身大のパネルが受賞者の席に置かれた。表彰状や故佐藤忠良氏作のブロンズ像が贈られるのだが、これは初音ミクが受け取ることができない。スケジュールの関係で都合のつかなかった伊藤社長に代わって、同社の社員が代理で受け取っていた。
 受賞祝賀会の席で小耳に挟んだのだが、選考過程でやはりヴァーチャルな人物に賞を与えることには議論があったようである。しかし、初音ミクの全国的な、そしていまやアジア的な知名度の持ち主である点が受賞を決定つけたようである。
 授賞から1年以上も経ってから、受賞式に出席した初音ミクにクリプトン・フューチャー・メディア社の応接室に立ってもらいパノラマ写真撮影である。受賞式でもらったブロンズ像を一緒に並べてもらうのを失念したので、それは筆者の自宅にあるものを重ねて写真に収めた。「ジーンズ」と題されたこのブロンズ像は2012年を持って贈呈は終わったようで、2013年からは新しく安田侃氏の石彫が賞として贈呈されている。


HPFhito35%E3%83%BB%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AFA.jpg

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito35・道内温泉地99%で湯に浸かった林克弘氏

 林克弘氏のブログ上でのハンドルネーム(HN)は温泉マンである。本業の方は日研コンピュータ㈱の社長で建設業関係のコンサルティングを行っている。温泉マンを名乗るだけあって、北海道の温泉地(温泉宿ではない)は99%は制覇しているとのことである。
 仕事柄もあって、北海道の各地を車で回っていて、温泉地のみならず各地の見所、駅、店、地産品、イベントなどにも詳しい。特に出身地の妹背牛を中心にした空知地方は我が庭といった感じのようである。イベント仕掛け人でもあり、留萌本線の恵比島駅(明日萌駅)で2014年に鉄道イベントの提案を行うため林氏が沼田町に行く時、福本工業社長の福本義隆氏と一緒に同氏の車に乗せてもらう。
戦前に中国から連行され、沼田町に在った明治工業昭和鉱業所で働かされた故劉連仁氏は、同鉱業所を脱走し足掛け14年間北海道で生き延びている。その劉氏に福本氏が興味を抱き、沼田町で劉氏の痕跡でもないかを調べるのが沼田町行きの動機である。
 劉氏は最終的には石狩当別町で発見された。その生還記念碑があるので、それも見て行こうということになった。そこで林氏の出番で、めったに人の訪れることのないだろう記念碑の場所をネットで調べて、我々を連れて行ってくれた。
 記念碑の場所は地図では道道527号を宮本農園の付近で直角に折れ、東北方向に向かい、田淵農園の近くである。上記場所の説明通りには行かなかったけれど、田舎の田園の道を車で走って「劉連仁生還記念碑」の立て看板があるところに着く。
 記念碑は劉氏が冬季に篭った洞穴を思わせるような石で囲まれた空間に劉氏を象徴しているかのような球体が置かれている。制作者は彫刻家故丸山隆氏である。ここを訪れたのは11月の下旬で、辺りはもう冬景色である。
 小雨の中で林氏に立ってもらいパノラマ写真を撮る。林氏の立つ周辺は一方に山林、開けた方は雪で覆われた水田と鉄骨だけになったビニールハウスがある殺風景な景色である。生還碑があるということはこの付近の山に隠れていた劉氏が発見されたことなのだろう。パノラマ写真には同行の福本氏が熱心に碑文を読む姿が写っている。


HPFhito35%E3%83%BB%E5%8A%89%E9%80%A3%E4%BB%81%E7%94%9F%E9%82%84%E7%A2%91%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%9E%97%E5%85%8B%E5%BC%98%E6%B0%8FA.jpg

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

eシルクロード大学第8期第9講目で話中の北大情報科学研究科山本強教授

 eシルクロード大学第8期第9講目で話中の北大情報科学研究科山本強教授です。「タイ王国と私ー微笑みの国との30年」と題した講義内容はeシルクロード大学ブログにあります。


%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E4%B8%AD%E3%81%AE%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%85%88%E7%94%9F%EF%BC%88%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%A9%E3%83%9E%E5%86%99%E7%9C%9F%EF%BC%89A.jpg

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito34・ホッキョクグマの双子を誕生させた円山動物園飼育員清水道晃氏

 円山動物園には中国からパンダを借りてくる話を持ち込んだことがある。政治的な動物であるパンダの実物が見られなくても、成都市にある「成都大熊猫(ジャイアントパンダ)繁育研究基地」からのライブ映像を円山動物園で見られるようにするのはどうか、という提案も行っている。
 このパンダプロジェクト実現のため、2005年頃、当時前記研究基地には設置されていなかったパンダ監視システムを、札幌のIT企業「ビー・ユー・ジー」社の協力も得て寄贈している。その見返りとして成都から札幌までのライブのパンダ映像伝送する覚書きを、研究基地の余建秋副主任と取交わしている。
 筆者が会長となり新しく立ち上げた「CSパンダの会」の副会長には余主任と、成都市で研究基地との間を取り持ってくれた日本語の堪能な会社経営者楊治敏さんになってもらった。楊さんは筆者の研究室に留学していた莫舸舸君の母親である。
パンダプロジェクトに関連して余主任を札幌まで招待したことがある。当然余主任と同道で円山動物園も見学している。円山動物園側の対応は記憶に残っていない。余主任を旭川の旭山動物園にも連れていっている。結果的には成都からのパンダのライブ映像が札幌に送られてくることはなかった。
 円山動物園はホッキョクグマの繁育研究基地の様相を帯びている。昨年(2012年)12月に母親ララが双子のポロロとマルルを出産し、二頭とも元気に育っている。この時キャンディというメスも出産したけれど、死産となった。このホッキョクグマの出産と飼育に携わっているのが飼育員の清水道晃氏である。
 清水氏は昨年ホッキョクグマ担当になる前は熱帯の動物エランドの担当であった。飼育員は担当する動物が固定しているのかと思うとそうでもなく、結構園内で担当する動物が変わっていく場合もある。清水氏は、今年は前記のキャンディが妊娠しているのかどうか、ホッキョクグマ館の近くのプレハブ内で、寝室内のキャンディのモニタ映像と睨めっこである。その様子は、かつて成都市で日本からの寄贈の監視カメラでパンダのライブ映像を職員が見ていた光景と二重写しになる。
 清水氏のパノラマ写真取材を行った12月下旬の時点で、キャンディが妊娠しているのかどうかは判断できない状況にある。キャンディは繁殖のため豊橋総合動植物公園から借りてきているので、今年の妊娠・出産を清水氏は祈るような気持ちで待っている。
 ホッキョクグマの出産のため、静かな環境を保つ目的で熊館の近くは見学中止である。動物園は、園内で人を集めるホッキョクグマの親子を見せることと、新しい出産の可能性につなげるための見学中止の板ばさみになっている。
 清水氏にホッキョクグマの看板のところに立ってもらいパノラマ写真撮影となる。広い園内に客はまばらであったけれど、天気次第では年末年始には来園者が増えるのだろう。



HPFhito34%E3%83%BB%E6%B8%85%E6%B0%B4%E9%81%93%E6%99%83%E6%B0%8FA.jpg

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito33・来園者増に心を砕く円山動物園長見上雄一氏

 公共施設は設置目的があり、いくつかの目的の軽重は施設を運営する主体の性格で随分とイメージが変わってくる。札幌市内にある動物園と植物園を比べてみる。動物園は札幌市が管理・運営していて、市民が遊びに行く場所というイメージが強い。一方、植物園は北大に所属する研究施設であり、何か植物に関する研究が行われていると漠然と思われていて、事実そうである。
 動物園でも種の保存のために人工授精や飼育の研究の側面はある。しかし、国内初の何かの動物の人工飼育に成功したことがニュースになっても、それが論文で発表されることはないようである。動物園で働く飼育員は論文を書いて成果とする研究者からは遠い。動物園の経営という点からは、国内初の人工飼育がニュース報道され、来園者が増えることが主な関心事だろう。
 市の施設で動物園や青少年科学館は採算のとれない施設であることは傍目にもわかる。これは施設の目的が、教育やレクリエーションにあるので、そのために市の予算が投入されるので採算は二の次というところがある。そうは言っても、余りにも赤字が拡大する施設を維持するのは難しい。札幌市の職員から、何年か毎に送り込まれる円山動物園の園長は、この点に最優先の問題意識を持っているはずである。
 昨年(2012年)新しく就任した円山動物園長の見上雄一氏にとっては、来園者を増やし、動物園運営の経費の赤字が増えないようにするための方策を考え、実現することが最大の目標だろう。アジアゾーンの施設が新しく設けられたので、これを来園者増加の起爆剤にしたいところである。前部署が交通局で事務方であれば、利用客増への努力は習い性になっているのではなかろうか、と推測する。
 1984年に小樽商大の商学部商学科を卒業して札幌市役所に勤め、色々な部署の仕事をしてから動物園長となったので、来園者へのサービスにアイディアを出し、体当たり的に園長自ら実行することで園長職を果たそうとしている。しかし、動物の研究者でも動物園を経営してきた経験も長くはないので、多分アイディアは試行錯誤的なものなのであろう。
 パノラマ写真撮影を申し込んだら気軽に応じてくれて、園長室や園内で短時間の撮影である。歩きながらの取材で、園内でカラスに手に持った物を取られた客がいて、直ぐに寄っていって何か話していた。来園者への気配りを大切にしている様子が見て取れた。


HPFhito33%E3%83%BB%E8%A6%8B%E4%B8%8A%E9%9B%84%E4%B8%80%E5%9C%92%E9%95%B7A.jpg

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito32・建築中の新社屋前の莫舸舸君と鄒宏菁さん

 莫舸舸君は筆者の研究室で研究生活を続け、博士号を取得後本州の企業で修行して成都市に戻った。博士論文の研究は道路標識の認識に関するもので、昨今の自動車の自動走行にも関連する画像認識技術である。
 故郷の四川省成都市には、父親の莫景猷氏の経営する無線システムを製造する会社の「成都華日通訊技術有限公司」があり、そこでソフトウェアの別会社「有限会社華日東升公司」を経営した。取引先は日本で、莫君が日本語が出来る強みを生かして仕事を日本から受注していた。莫君の母親の楊治敏さんは慶応大学に留学した経験があり、成都市で企業を経営している。莫君の家族は企業家一家である。
 莫君が成都市で会社を経営するようになってから、成都市を訪れパンダの仔を抱いたことがきっかけで、筆者は「CSパンダの会」を立ち上げた。CSとは成都(Chengdu)と札幌(Sapporo)を意味している。ゆくゆくは成都市の「成都大熊猫(ジャイアントパンダ)繁育研究基地」からのライブ映像を札幌まで伝送できるようにと目論んだ。莫君の助けも借りて、成都のパンダ研究基地に監視カメラの寄贈なども行ったことがある。このプロジェクトはパンダ研究基地で生まれた仔パンダに「曄友(イエヨウ)」という名前をつけたぐらいの成果しか出せなかった。
 莫君の奥さん鄒宏菁さんも日本への留学経験があり、山梨大学から北大の大学院に進学している。莫君とは山梨大学で知り合ったと聞いている。鄒さんは北大の文系の博士課程に進学して、莫君が博士号取得後鄒さんは博士課程を退学して莫君と結婚して成都で一緒に会社の仕事を行っている。日本語の堪能な鄒さんには「爪句@思い出の都市秘境」(共同文化社、2010)に2句投稿してもらっている。
 今年(2013年)数年振りに成都市で会った莫君は父親の会社も引き継いで大きな会社の社長になっていた。主な取引先は中国国内で、日本とのビジネスでの関係は無くなっているようである。新社屋も建築中で11階建ての自社ビルは2014年の夏には完成予定で、このビルに社員数400人程度の華日通訊集団を入居させる計画と聞いている。
 北大博士課程在学中は家に引き篭もりがちの莫君が、若くして大きな企業を引っ張っていく会社経営者になるとは、時の流れを感じさせる。今度成都市を訪問する機会が得られれば、新社屋で仕事をしているところを見せてもらえるのだろうと、楽しみが残った。


%E7%A4%BE%E5%B1%8B%E3%83%93%E3%83%AB%E3%80%80%E5%8C%97%E5%A4%A7%E7%B8%81%E3%81%AE%E3%80%80%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E7%AB%8B%E3%81%A1A.jpg

(建築中の自社ビル前での莫君(右)と鄒さん)

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

HPFhito31・新会社「ウチダシステムズ」道支社長の山下司氏

 山下司氏は「ウチダシステムソリューション」の社長であった。今年(2013年)同社は分割され、環境システム事業部が内田洋行関連会社3社と統合し「ウチダシステムズ」となり、山下氏は新会社の北海道支社長となった。
 内田洋行の関連会社で構成するウチダグループは札幌でユビキタス協創広場U-calaを運営しており、ウチダグループの活動や製品紹介のみならず産学連携の場としても活用されている。無料ということもあり、大学の研究者が主催するイベントにも利用されている。筆者が主宰する月1回の勉強会「eシルクロード大学(eSRU)」も毎回ここが教室となる。この会場を紹介してくれたのが前記の山下氏である。
 勉強会eSRUは2006年に始まっている。第1回目は札幌コンベンションセンターで筆者が講師となって行われた。その後は地下鉄東札幌駅に近い札幌市産業センター内のセミナールームを会場にして、主にITの関連分野のキーパーソンが講師になり行われた。しかし、無料で使用させてもらっていたこのセミナールームが、同センターの指定管理者が変更されたことにより有料となり、別の場所を探さねばならなくなった。
 この時期、山下氏は北海道IT推進協会副会長を務めていて、同協会の新年会で教室探しの話が出て、当時内田洋行北海道支店にあったU-calaを利用させてもらうことになった。その後、この支店のビルの老朽化のため、支店は今年(2013年)サッポロファクトリー1条館に移転し、U-calaも新しくなった。
 eSRUの講義日に山下氏が顔を出したので教室の横のスペースでパノラマ写真撮影である。仕切りの向こう側がウチダグループのオフィスになっている。内田氏は勉強会に出席する意向を示してくれているが、忙しいらしくて実現されてはいない。毎回の世話役は内田洋行の渡辺裕司氏に行ってもらい、パノラマ写真に渡辺氏の後姿が写っている。


HPFhito31%E3%83%BB%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%8F%B8%E6%B0%8FA.jpg

カテゴリー: 人物編 | コメントをどうぞ

「武士道」のTシャツも並ぶ総合博物館売店

 総合博物館を訪れると売店を覗く。北大土産が並んでいる。北大土産は定番のものから新しいものもある。「武士道」のロゴ入りTシャツは新しいもののようである。これは言うまでもなく新渡戸稲造の著作からのものである。原著は英語で「Bushido:The Soul of Japan」の書名で、1900年アメリカ合衆国で出版された。英語から日本語になったものを昔読んだけれど、内容はうろ覚えである。博物館選定の土産になりそうな書籍も棚に並び、そこに爪句集も加えられていた。(2013.12.26)

売店で 博物的な 土産かな


%E5%A3%B2%E5%BA%97%E3%81%A7%E3%80%80%E5%8D%9A%E7%89%A9%E7%9A%84%E3%81%AA%E3%80%80%E5%9C%9F%E7%94%A3%E3%81%8B%E3%81%AAA.jpg

武士道の シャツの棚下 爪句集

%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93%E3%81%AE%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84%E3%81%AE%E6%A3%9A%E4%B8%8B%E3%80%80%E7%88%AA%E5%8F%A5%E9%9B%86A.jpg



%E5%8D%9A%E7%89%A9%E9%A4%A8%E5%A3%B2%E5%BA%97%E3%83%BB2014%E3%83%BB8%E3%83%BB31A.jpg

2014年8月31日のパノラマ写真

%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E9%81%93%E3%81%AE%E3%80%80%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%84%E3%81%AE%E6%A3%9A%E4%B8%8A%E3%80%80%E7%88%AA%E5%8F%A5%E9%9B%86A.jpg

博物館 土産品なり 爪句集

カテゴリー: 北大編 | 「武士道」のTシャツも並ぶ総合博物館売店 はコメントを受け付けていません