小樽市緑1丁目に「森ヒロコ・スタシス美術館」がある。森ヒロコさんは銅版画家であり、スタシス・エイドリゲヴィチウスはリトアニア生まれでポーランドの世界的芸術家である。同館は、国も経歴も大きく異なる二人の作家の名前を冠した、私設のユニークな美術館となっている。館長は森先生の夫君の長谷川洋行氏である。
森さんは1942年に小樽の質屋の娘として生まれている。現在、美術館の一部として改装されている石倉は、生家の質店の質蔵であった。森さんは小樽緑陵高校(後の小樽商業高校)から女子美大短大に進学し、卒業後はグラフィックデザインの仕事に就いている。しかし、この仕事は自分には向いていないと見切りをつけ、小樽に戻る。28歳の時、小樽の画材店で開かれた小さな講座で銅版画に出会い、その繊細で硬質な表現に夢中になったそうである。
銅版画家として作品を制作し出してから、全道展知事賞(1972年)、全道展道立美術館賞(72)と受賞が続き、各地での企画展にも作品を出展している。森さんは多くの作品を発表して来ている。森さんは猫がお気に入りのテーマのようである。生計のためにも作品は売られており、筆者の家の者が買ったものはやはり買い物をする猫である。
長谷川氏は札幌でNDA画廊を経営していた時期があり、森さんはそこで個展を開いたり、銅版画の教室を持って教えていた。筆者は1991年NDA画廊で「コンピュータグラフィックスホログラムとスケッチ展」を開いている。この個展は当時としては先進的技術でもあったので「CGホログラム個展」として北海道新聞(1991.3.25夕刊)に写真入りの解説記事が載った。この個展が森さんを知るきっかけではなかったかと思うのだが記憶ははっきりしない。
森さんは目を悪くして、療養も兼ねて長沼町で自然の中で園芸などに従事していた時期がある。その頃長沼町では芸術家を町内に招いて制作活動を行ってもらうプロジェクトが進行しており、長谷川氏もこれに関連していた。この頃両親が高齢で介護が必要となり、再び小樽に戻る。両親の他界後、長谷川氏の提案で生家の石倉を改築し、NDA画廊を札幌から移している。1998年、通りに面した部分を新しく増築し、現在の美術館の形になった。
美術館には、前記のスタシスの作品の他にもスロバキアの銅版画家アルビン・ブルノフスキーの作品、ホーランドの絵本作家のユゼフ・ウィルコンの動物のオブジェが館内に展示されている。東欧の芸術家との繋がりがあるのは、長谷川氏が毎年スロバキア国立オペラ座から歌手を呼び、日本各地でオペラ公演をしていることに関係しているようである。
目の病が癒えてから森さんは精力的に制作活動を続け、カナダ、アメリカ、イギリス、ブルガリアでの展覧会を開催したり作品を出品したりしている。近年は2,3年おきでパリ、オーヴェル、ストラスブールでの作品展を開いており、フランスだけでも5回を数える。
森さんの仕事場でパノラマ写真撮影となる。銅版画のエッチング法では、銅に防蝕膜を塗り、その上から鉄筆で絵を描き、それを塩化第二鉄で銅の線画部分を腐食させて銅版画の原版を作る。原版の銅の腐食部にインクを含ませ、プレス機でインクを紙に転写して銅版画ができてくる。この根気の要る仕事を長年行ってきた仕事部屋には、用紙やモデルにする小物の素材、資料、作品、展覧会ポスター等が置かれ、貼られ、箱に詰まっている。回転アームのあるプレス機もある。塩化第二鉄を入れる容器も見える。木版画でもそうであるけれど、版画の世界は芸術家と職人を兼ね合わせたところで作品が出来上がってくるので、仕事場を覗くと道具立てが大がかりで、パノラマ写真からその雰囲気が伝わってくる。
森さんと長谷川館長の現在の懸案事項は美術館の将来である。それ自体が文化財になる石倉と、そこに収蔵されている作品が永く残る何か方策の検討が今から必要である。パノラマ写真ならディスクに収めておけばよいのだろうが、美術品となると事は簡単ではないと、森さんの話を聞いて思った。
(森ヒロコさんの仕事場で、2014・3・29)
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