「パノラマ写真で巡る北海道の駅」カレンダー30部のうちの売れ残り2部を紀伊国屋書店札幌本店に取りにゆく。ついでに、NHK札幌放送局ギャラリーで開かれている写真展「人類の進化と拡散の痕を訪ねて」を覗いてくる。写真家は名和昌介氏である。ついでという感じで、写真展会場で名和氏のパノラマ写真を撮る。
準備した上での取材ではなく、紙片はあっても筆記用具を持ち合わせていない。名和氏からボールペンを借りてメモする。名和氏はギャラリーに来る予定の客を待っていて、10分間にもならないインタビューである。当方の名刺も出さず、名も告げずの立ち話のようなインタビューとなる。
名和氏は1949年7月生まれで、2015年現在で65歳である。丸瀬布町(平成の大合併で遠軽町になる)出身で、北見高校から北大に進学している。理系の学部を卒業して北海道新聞社に入社する。理系から文系の新聞社に入社した動機の質問には、新聞社は大学でどんな専攻をしたかは問題しないで試験だけで採用するので、といったような答えであった。
紋別、帯広、釧路等の支局での記者生活を送り、この頃仕事で写真を撮るようになったとのことである。本社では学芸部や出版局でも仕事をして、道新退職後(早目の退職と聞いている)今回の写真展のテーマである人類の進化と拡散(グレート・ジャーニー)の痕を訪ねる海外旅行の生活に入り、これまで20数か国を訪ねて写真を撮っている。
この辺りまで聞いたところで名和氏の予約の客が会場に現われ、インタビューは終わりとなる。データ不足を補おうとして帰宅後名和氏の名前で検索すると、名和氏は「屯田兵の末裔が行く」というタイトルのブログの主であり、今回の写真展に関する投稿記事がある。紋別郷土史研究会「郷土誌」の表紙になった名和氏制作の“きり絵”も見つけた。
北海道新聞の夕刊コラム「魚眼図」の世話役であったらしく、このコラムに関する執筆依頼者とのやり取りのメールがネットに載っている。ここまで来て思い出したのは、名和氏は筆者が「魚眼図」の執筆者だった頃、一時期担当者ではなかったか、である。名和氏の名前は記憶にあるような無いようなといった塩梅で、随分昔のことではっきりしない。なお、筆者が「魚眼図」を書き始めたのは1979年の11月からである。
尻切れトンボのようなインタビューであったけれど、会場に貼られていた写真展に関する名和氏のコメントが印象的だった。「地球上のヒトの文化は多様性に富んでいます。その一方で、人種・民族は違っても普通の人(貧乏人)の生活は、どこでもよく似ている、というのも実感です」同じ民族であるけれど、貧乏人名和氏と筆者の生活も似ているのだろう。
(写真展のギャラリーに立つ名和昌介氏)
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