秋山記念生命科学振興財団理事長の秋山孝二氏は多くの公職を抱えておられる。その一つに伊藤組100年記念基金の評議員があって、同じ評議員として評議委員会で席が隣になった。これは良い機会だと秋山氏のパノラマ写真撮影をお願いする。
前記財団のオフィスは北1条宮の沢通に面していて、オフィスの隣の「かんてんぱぱショップ宮の森店」を道新文化センターの都市秘境散策講座の受講生と訪れたことがある。しかし、店の隣の建物が秋山氏のオフイスであることは露知らずであった。
財団のオフィスということで、事務所の雰囲気を予想して行ったのが、立派な邸宅風であったのが意外であった。後で聞くと旧「秋山愛生舘」の4代目社長であった秋山喜代氏が晩年住んでいた家とのことである。この喜代氏個人の出捐金2億円で現在の財団がスタートしている。孝二氏は同社の5代目社長で、喜代氏は孝二氏の伯母に当たる。
秋山孝二氏は1951年に札幌市で生まれ、札幌南校から1970年千葉大学教育学部に進学している。大学進学の年は大学紛争で東大、東京教育大の入試は行われなかった。大学卒業後東京江戸川区立鹿本中学校の理科の教諭になっている。1979年秋山愛生舘に入社し、1992年に同社社長、1998年に(株)スズケンと合併し同社副社長、2002年に退社している。
秋山氏が退社した翌年2003年の4月には札幌市長選が行われ、7名が立候補した。市長選に一番先に名乗りを上げたのが秋山氏であった。混戦の選挙は政令指定都市初の再選挙となり、上田文雄現市長が当選した。秋山氏は再選挙には出なかった。選挙後、秋山氏は秋山不動産有限会社の社長となり、2013年には会長となっている。
ネットで秋山氏の公職のリストを見て、ワグナー・ナンドール記念財団理事長というのを見つける。円山公園に隣接してあった市長公邸が解体され、跡地にハンガリー人のワグナー・ナンドールのブロンズ像の作品「母子像・ふるさと」が寄贈され設置されている。時々目にする彫刻で、同氏と彫刻家の関連を尋ねてみる。女系家族の秋山家の長女が喜代氏、3女が孝二氏の母の寿美氏、4女のちよ氏が同彫刻家と結婚している関係で、孝二氏が栃木県益子町にある前記財団の理事長に就いている。
2年前の2012年7月に秋山氏に勉強会「eシルクロード大学」の講師をお願いしたことがある。テーマは「エネルギーと環境」で、北海道経済同友会幹事の秋山氏が原発を止めて「自然エネルギーアイランド北海道」を提唱されていたのが印象に残っている。北海道市民環境ネットワーク理事長の立場で考えた末の結論だったのだろう。
これだけ多くの公職を抱えていれば趣味などに使う時間もないだろうとは思ったけれど、一応は趣味についても聞いてみる。案の定、仕事が趣味のようで、この話は続かなかった。それにしてはパノラマ写真撮影後、色々と話し込んで時間が過ぎていって、人と話をするのが氏の趣味なのかも知れないと思った。
(財団オフィスでの秋山孝二氏 2014・6・5)
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